はじめてアニメのシナリオを書いたのは二十二年前。
これは、その十数年後に内輪向けのブログに書いた、デビューの顛末。
匿名といえど個人が特定できちゃう記事だったので、ずっと非公開だったけど、さすがにもうなにがあっても時効だろうということで転載(^^; もともとがちょっと長めで分割掲載していたものなので、ここでもそれを踏襲します。
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それは、ちょっとした思惑があって、携帯電話を導入したころのこと。
いまと違って携帯も加入権を買って、ハードを買ってとかで、導入コストが20万円前後はかかった時代だ。
ある日、ガイナックスの元副社長から、買ったばかりの携帯に着信があった。
いきなり「おまえ、シナリオ書いてみない?」
在職時代から、唐突かつ思いつきで発言するキャラだったので、話半分に聞いて適当に相槌を打っていたら、いつのまにか翌日、新宿プリンスのロビーで会って話だけは聞くことになっていた。
翌日。現場に行くと、顔だけは知っていたバンダイビジュアルのプロデューサー(Mくん(仮名))から声をかけられる。
わしに電話をしてきた当人は来ないという。
打合せに行った時点で、どういうわけかわしがシナリオを書くことになっていた。
つまり、元副社長にハメられたのであった。
シナリオには制限がたくさんあった。予算がないので、30分モノだけど半分は再編集。新作パートは15分で、役者のギャラも抑えたいので登場人物は三人まで。
原画100カット以内。動画枚数1000枚以内にしたいので、なるべくアクションのないエピソードで。
以上の条件をクリアしたうえで、タイトルは「素足の銀鈴 盗まれた戦闘チャイナを探せ大作戦」
なんじゃそりゃ(--;
今川版ジャイアントロボは、いろんな事情で制作が遅れ、発売が遅れ、制作費ばっかり浪費して、かなり難儀な状況だった。
そこで販売元だったバンダイビジュアルの偉いプロデューサーが番外編の予算を捻出。その大半を本編現場に投入。残ったお金でOVAを一本でっちあげるという企画だったのだ。
しかし、そんな危ない話に乗るライターも監督もいない。そこで下っ端プロデューサーが元副社長に泣きついたらしい。
外面のいい件の人物は、適当なタイトルをでっちあげ企画書をつくり、既に発売計画もできあがり、それどころか発売日まで決まっていた。
わしが行ったとき、中身もスタッフも決まってないのにやたら長いタイトルだけが決まってたのはそういう事情らしい。
だが、そこまでやっといて、自分でシナリオを書くでもなく、監督をみつけるでもなく、彼は逃げた。わしを人身御供に差し出して。
もちろん、わしはそれまでアニメのシナリオなんか書いたこともなければ、まともに読んだことすらなかったのであった。
つづく