シナリオライターデビューネタのあとに予備自衛官の話を書いたので、次はマンガの編集者をしてた話をば。
月刊誌で連載を何本か担当していたことがある。
出版社に編集者として雇用されてたわけではなく、なりゆきで編集みたいなことをやっていたというお話。時期的にはエフエム大阪でラジオドラマのシリーズ制作をやってた頃で、変な兼業編集者だった。
きっかけは、いくつかあるのだけれど、今回はそのうちのひとつ、芦田豊雄さんの暴流愚のことを書く。
芦田豊雄さんが何者か?というのは今更ではあるけど、今年創業40周年を迎えた老舗の作画スタジオの創業者で初代社長。監督としては『北斗の拳』が著名で、キャラクターデザイナーとしては枚挙にいとまなしってな作品数がある。けれど、ボクからすると月刊アウトで変な連載しているおじさんだった。
芦田さんと最初に会ったのはもう三十年以上前、たぶんアウトがらみの飲み会だったと思う。それからいろいろあって、やがて一緒に仕事をさせてもらうようになり、なにかのきっかけで、いまこんな企画をしていると見せられたのが『暴流愚』のイメージイラストだった。スタジオ・ライブがまだ平和台にあった頃のこと。
アニメの企画だった『暴流愚』はメーカーのプロデューサーのお気に召さなかったようでボツになったと後に聞いた。
そのタイミングと、旧知の編集長が新雑誌を立ち上げるのでネタが欲しいという話がマッチして、芦田さんに月刊誌での連載をしてもらおう!というのがとんとん拍子で決まった。
なぜボクが担当編集をすることになったかと言えば、編集部が人手不足だったからで、シナリオのときと同様、素人でもいいからやれという展開だった。
実際のところ、暴流愚は芦田さんの中でストーリーがある程度固まっていたので、内容の打ち合せはそんなに細かくすることはなかった。途中でTVシリーズの監督が決まったので、毎月のページ数を編集長と交渉して、芦田さんがファックスで送ってくれるネームに感想とか意見とかちょっと述べて、気になるところは意図を確認してから編集長に回してOKが出れば、あとは原稿があがるのを待つだけ。
『暴流愚』の場合はちょっとした表現の問題以外にリテイクがでることもなく、大変楽をさせてもらってたように思う。
『新撰組異聞 暴流愚』は昨年ホーム社/集英社から新装版が発売になった。
芦田さんは2011年に亡くなってしまったけれど、作品はこうして残るのであります。