でました。
進化させると、サワムラーかエビワラーかカポエラーになるようです。
サワムラーもエビワラーも居るので、ぜひカポエラーになって欲しいところですが…条件が個体値頼りだとか。おいおい(--;
イーブイのような裏技はないようなので、やってみるしかない。
じゃじゃーん!
無事にカポエラーになりましたとさ。
こういうときのヒキはとても強い(^^;
あとはイベント開催中にピカチュウ9体ゲットしてだいすきクラブのメダルが金になれば満足(^^)v
昔、宝くじが当たって、当選金を受け取ったのがちょうど自分の誕生日だったので、そのネタで、宝くじの広告に出た。
西田敏行さんと共演。
誕生日に2500万円もらえるなんて、なかなかないでしょ?(^^;
宝くじが当たってもらえるお金以外の物ネタは先月書いた。
これ。
でももうひとつ、忘れられない誕生日がある。
それは芦田豊雄さんが生前…スタジオ・ライブの会長に退かれたお披露目パーティのときの思い出。
自分の誕生日がパーティの日だった。
去年の命日に、このブログでも触れている。
そのとき頂いたメッセージと図書カードを見つけた。
これ。
読んでいたらじわじわきた。
高額当選もうれしかったけど、金はとっくに使ってしまった。
でも、思い出はずっと胸に。
今年は七回忌。
今も、芦田さんに相談したいことがたくさんある。
さて、まさに今、アニメ版がOAされている鬼平犯科帳。
いわずと知れた、池波正太郎の時代小説。
過去に何度も実写化されてます。
最初は八代目松本幸四郎…わかりやすく言うと、松たか子さんのおじいちゃん。
二人目が丹波哲郎。
三人目、萬屋錦之介
そんでもって、こないだラストってことで制作が終わった四人目中村吉右衛門。
一人目の松本幸四郎版、2シーズン目の「新・鬼平犯科帳」いまは71年版と呼ばれているシリーズの11話「女賊」で池田秀一さん。
吉右衛門版の第2シリーズ10話「女賊」で黒田崇矢(当時は黒田隆哉)さん。
同じ幸太郎役をやってるんですよ。
今更ですがお二人のプロフィール。
池田秀一さん
http://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=10587
黒田崇矢さん
http://www.axl-one.com/talent/kuroda.html
お二人とも公式プロフィールには載ってません(^^;
今や人気声優でかっこいい系が多いお二人ですが、幸太郎は、女盗賊にメロメロにされちゃう手代の役です。
アニメ鬼平が続いて「女賊」を作る機会が来たら、幸太郎は池田秀一さんにお願いする!ということを考えるPがいないかなぁ~。
さすがに黒田さんは渋くなりすぎて、メロメロ手代はきびしかろうが…池田さんなら(^^;
声優さんとは関係ないけれど、逆に違うシリーズで同じ役をやってるってパターンもあるのです。
池波志乃さんが萬屋錦之介版と吉右衛門版で「猫じゃらしの女」のおよねを二度演じてます。
今週のお題「卒業」
先週に続いて今週もお題プログチャレンジです(^^;
子供の人数が減ってたり、そもそも運転免許をとらない人が増えたりと、何年も前から自動車教習所は、お客様へのサービスを強化、あの手この手で生徒獲得合戦を繰り広げてます。
が、我々の頃は、なにせ人が多かったので、教習所も、とてもサービス業に従事しているとは思えない教官がいっぱいいました。
免許をとらせてやっている!そういう態度のやつらばっかり(^^;
ちなみに所持免許は過去のブログにありますが、こんな感じ。
今、普通自動二輪表記になってますが、当時は中型でした。
当時19歳だったわしは、16歳のときにとった原付免許のみ所持。
現役の自衛官だったので、部隊には所持免許の申告が必要でした。
あと、免許があっても私有車両の所有は部隊長に申告して許可がないと許されないという…あれは幕僚長通達だったのかな…とにかく、車もバイクも持っちゃダメ!というのが基本でした。
必然的に、教習所に通うにも許可がいるのですが…許可でないんだよ。
ルールをあからさまに破ることを是としないワタクシめではございますが、バレなきゃいいや精神も同時に持ち合わせております。
要するに、内緒で通うことにしました。
しかし、営内居住の自衛官は、外出するにも申請と許可、外出証と身分証明証必携なので毎日教習所に通うというわけにはいきません。
学科が30時間弱、実技が11時間だったかの教習日程を半年かけてコソコソと通いました。
当時、市ヶ谷駐屯地に居住していました。いまや防衛省の所在地となってます。
で、知り合いに会ったりするのを避けるため、なるべく遠い教習所を選びました。
新小岩です(^^;
土地勘もなにもなかったけれど、市ヶ谷から乗り換えなしで、外出時間に影響しないで往復して教習を受けられる一番遠い場所ということで選んだはず。
今ならネットで評判とか確認できるですが、当時は電話帳で場所と電話番号を確認するくらいしか術がなかった。
ちなみに教習車はこれ。ホンダCBX400F。
http://apps.mobilityland.co.jp/hch/search/products/61
とにかく、学科が大変でした。
なにが大変って、こっちは外出できる曜日が土曜か日曜に限られているのに、そこだけだと受けられない学科があるということ。
普通免許をもっていればほとんどの学科は免除なのに、こっちは原付しかもってないのでフルで受講しなければいけない。
実技は一日2教習受けれるのだけれど、学科がちっとも進まないのでたまにしか乗らない。
そんなこんなの半年でした。
ようやく学科をすべて受け終えて、実技の卒業検定にチャレンジ。
一発で合格しましたが…そのとき教官がハンコを押しながら言い放ちました。
「実技教習終わってから2か月も経っての卒検なんて、普通はハンコを押さないんだけどな。どういうつもりだかしらないけど、一回くらい落とされるのがあたりまえだと思っておけ」
なんじゃそれ(--;
嫌味にもなってないし、脅しにもなってないし、わけわからん。
せっかくの卒業が、ぜんぜんうれしくないもやもやとした気持ちになったのでした。
ちなみに、二輪免許取得後、ほんの数か月で先輩4人が次々に適正検査に落ちたおかげで、自分に回ってくる予定が全然なかった大型自動車免許取得のため駒門の自訓に入校することになり、内緒で二輪免許を取ってたことが隊長にバレて、説教くらったのであった。
つまり数か月我慢しとけば、学科教習パスで免許とれたのに…ってのは神ならぬ身が知る由もないことであったたたたたた。