四半世紀も前の話。
二十代の頃、会社を辞めて田舎へ引っ込もうと考えていたことがある。
バブル期の上場企業でサラリーマンをやってて、バカみたいな残業をこなしつつも、休みの前夜は六本木あたりで同期連中と朝まで飲むという浮かれた生活の傍ら、日活撮影所に通って特撮の現場を体験したりして、東京暮らしに満足していた。
もう、いいかなという気分だった。
まだまだバブルの真っただ中で、会社を辞めるのにも根回しがいろいろ大変で、辞めますって直属の上司に話をしてから退職まで半年近くかかった。
ともあれ、一応の円満退社を実現。
田舎の職安にも登録もした。
もう東京に来ることはないだろうと考えていたので、東京でやり残したことはやっておくことにした。
たとえば東京タワーに登る。
たとえば浅草寺に行くなどなど8年も東京に居て、東京の観光地然としたところへ行ったことがなかったのであちこちに行った。
それと並行して、アルバイトをしてみようと考えたのは、自衛隊から面接だけで上場企業のサラリーマンになっていたのでバイト経験がなかったせいだろう。
道路工事の警備員、宅急便のドライバーなどなど短期で少しづつやった。その一連で東京ディズニーランドのキャスト募集に応募したのだ。
予約をとって、面接会場に履歴書を持って直接行くシステムだったと思う。今は履歴書いらないのね。
面接のとき、ヒゲ面で指にアクセサリーじゃらじゃらつけていた。
面接内容で覚えているのは、ルールがあるのでヒゲは剃ってもらうことになるが大丈夫か?指輪はひとつだけ、イアリング、ピアスの類はNGってな説明部分と「体格がいいから、カヌーを漕がないか?」と冗談めかして言われたこと。
わりとあっさり合格して、バイト開始。行ってみたら、カヌー要員になっていた。
ディズニーのキャストトレーニングに関しては、もういろんな人がブログを書いているのでここで改めて繰り返すこともないかなと思う。昔も今もカリキュラムはそんなに変わっていないみたい。
当時カヌーは「デビー・クロケットのカヌー探検」という名前で出発地点も島じゃなかった。キャストデビューしてしばらくすると、アメリカ河はリハブ(定期メンテナンス)に入り、筏と蒸気船とカヌーのキャストは仕事がなくなった。その間スペシャルイベントの誘導員とかやりながら、ジャングルクルーズの船長さんとして再デビューすべくトレーニング。デビューしてみると、カヌーよりジャンクルの方が楽しかったかな。
周りのキャストは大学生のバイトが多いなか、アラサーのおっさん、楽しく船長さんやってました。
同期採用のパイレーツのキャストの子と文通したり(驚くなからドコモは存在してたけど、MOVAのサービスも開始されてなかったから当時は固定電話か手紙でコミュニケーションしてたんだな。書いてて自分でもびっくり)カヌーのキャストで一泊旅行に行ったり、考えられないはしゃぎっぷりだった。
変な青春ごっこだったなぁ。
バイトを辞めてから、一度もディズニーに行っていない。だからディズニーシーも知らないのであった。極端から極端はボクの特徴のひとつかもしれない。