うしにひかれて

最近すっかりポケGO日記

「深夜高速 生きててよかったの集い」を買った

フラワーカンパニーの「深夜高速」が15バージョン入りのアルバム。

参加アーティスト

金子マリ

GO!GO!7188

キャプテンストライダム

ミドリ

おとぎ話

Yo-King

中孝介

斉藤和義

怒髪天

かりゆし58

大吾 from aluto

湯川潮音

泉谷しげる

新録 2009年ver「深夜高速」

オリジナル2004年ver「深夜高速」

 

と、全15バージョンの「深夜高速」が聴ける。

実はカバー曲ってのが好きなわたくし。

特に同じ曲をひとまとめにしてあったりすると完全に俺得。

 

車のHDにはたとえばサドミカの「タイムマシンにお願い」が

オリジナル

桐嶋かれんバージョン

木村カエラバージョン

を連続で聞けるトラックを用意してあったりする。

ま、タイムマシン~はカバーとはちょっと違うけど。

 

いろんな人がカバーする名曲の音源をあつめて一枚にまとめるってのは好きな作業で、延々と同じ曲を聴き続けるドライブってのも楽しい。

 

それを本家が用意してくれるなんて、なんていいアルバムなんだ(^^)v

 

 

 

カバーといえば、いつかAKBが完全に下火になって、プロジェクトが終わったら、是非誰か上手い人にAKBグループのカバーアルバムを出していただきたい。

 

いや、いますぐでもいいんだけど、ぜってぇ許可でないだろうから(^^;

あ、誰か英語バージョンでカバーしてたか…でも日本語でプリーズ。

 

 

 

 

 

 

 

もう一度食べたい、あのカレー!  草の実

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閉店しちゃってもう食べられないシリーズその2。三鷹、草の実(くさのみ)のチキンカレーonシーフードミックス。

 

三鷹駅近くにあった、カレーとコーヒーの店。

個人的にコーヒーを飲む習慣がないのでそっちの味はわからないけれど、カレーはものすごく好みの味だった。

 

簡単に言うと、家のカレー最上級。

毎日食ってると、日ごとに微妙に仕上がりっぷりが違うのがわかる感じ(^^;

誤解をさけるために書いておくと、ちゃんとスパイスを自家ミックスで、オリジナルルーだったし、辛いのが苦手な人にはちょい辛目、でも辛いもの好きには微妙に物足りないという絶妙な加減(^^;

ハマると毎日通うタイプのキャラクターなので、ここも一時期はほんとに毎昼通った。

トッピングはシーフードミックスか、ピーマンか野菜ミックスの3択。他にもいろいろトッピングあったんだけど(^^;

カレーも、チキン、ビーフ、ポークにキーマ。でもチキン1択。

 

調布のマンボウとともに、復活して欲しいカレー屋さんの双璧。

 

もう一度食べたいあのラーメン! 麻辣商人

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いまはなき吉祥寺麻辣商人の「にぼしラーメン」

 

ペッパーランチの食中毒事件をうけて閉店していた吉祥寺店が突如ラーメン屋になっているのに気付いたのは、2010年の春。

麻辣商人という担担麺専門の店だった。

どうやら広島発祥だったようで、たしか広島式担担麺というような張り紙が店内にあった気がする。

 

汁なし担担麺にハマりまくっていたので、新規の店にはとりあえず入ってみる方針に従って、食った。

で、ハマった。

ライスをオーダーすると出してくれる、きざんだ搾菜と、ハラペーニョも使っているという自家製辣油がまたたまらなく美味かった。

 

週に3-4日はここでランチ!という日が続いたある日、にぼしラーメンがメニューに登場。

辛いものと同様、にぼし出汁のラーメンも好物なわしはすかさずオーダー。

写真のように、にぼし出汁な上にトッピングにまでにぼし。

ちょっとバランスが悪いくらい煮干し寄りのラーメンは、ものすごい好みの味だった。

 

辛いものニーズは、別オーダーのライスに辣油かけまくりで補い、メインはにぼしラーメンというパターンがしばらく続いた。

 

ところが2010年の年末、麻辣商人は、閉店してしまったのであった。

 

 

いま、跡地はいきなりステーキになってるんだよね。

けっきょくペッパーランチ復活までの場繋ぎ出店だったのかなぁ~。

 

検索してみると、ルーツらしい広島の店も紆余曲折あって、もうやってないみたいだし。あのにぼしラーメンはもう食えないのかなぁ~。ついでに担担麺も(^^;

3月24日に発売になるのです

出版社サイトより引用---

大人気アニメ『HUNTER×HUNTER』の監督であり、『コードギアス』、『超時空要塞マクロス』、『 はじめの一歩』、『デジモンアドベンチャー』など数多くのアニメ作画監督や絵コンテを手掛けてきた神志那氏が、イラストでもっとも難しく多くの人が苦手と考える“手”の描き方を伝授! 現役のアニメーターであり、多くのアニメーターを指導してきた実績から来る、プロとして通用する手の描き方のポイントを、さまざまな手の例とともに解説しています。プロを目指す人、自分の画力をUPさせたい人、必携の1冊です。

    -----引用ここまで

 

www.mdn.co.jp

 

 

世にイラスト描きがものすごく増えてるいま。

もちろんハウツー本もむちゃくちゃ沢山出ています。

でも、現場で活躍している監督でありアニメーターであり、後輩を指導している講師でもある人が、ハウツー本を出すことはあんまりありません。

なぜなら、そういう人はめちゃくちゃ忙しいからです(^^;

めちゃくちゃ忙しい人に教わる「手」の描き方に特化した本を作りました。

便利です。

絵描きさんは是非お手にとっていただきたい。 

 

 

 

 

 

 

おもいでのケータイ

特別お題「おもいでのケータイ」

 

 手元に残っているケータイ、スマホタブレットを今つかっているスマホで撮影。

 どれもこれもそれぞれに思い出がある。もちろん手元に残っていない端末も多い。

 

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 最初にケータイの契約をしたのが、ちょうど23年前。来月から24年目突入。

 いまと違って、端末はリースだったし、昔の固定電話みたいに加入権を買うシステムで、ケータイを持つのに初期費用が何十万かかかった(--;

 それでも、「しもしも~」のバブルネタの肩掛けタイプ時代より、ケータイが持ちやすくなっていた。

  

 会社を辞める!と決めたとき、次の拠点を定めるまでの連絡先として契約したのが最初の端末。

 すぐに名刺を作って、連絡先にケータイの番号とニフティのメアド。

 この名刺をくばって営業しまくったのであった。

 その後ケータイが普及すると、ワンギリの迷惑電話が頻発。

 営業名刺をくばりまくっていたせいで、おいそれと番号も変えられず、一時はほんとに難儀した。

 結局、自分で会社を立ち上げて、連絡先が固定したのちに、電話番号を変更して、以後名刺にケータイの番号を入れることをやめた。

 最初期の頃は、ケータイの基地局の問題だかなんだかで、大阪に出張するとあたまの090を変えないとかからない?というようなこともあった。

 電話帳機能もなかったので、手帳の住所録を見ながら、ケータイで電話をかける。

 画面もモノクロ。

 ほんとに最初は携帯する電話機だった。

 バッテリィも保ちも悪かったし。

 それが電話帳を内蔵できるようになり、発信者の番号が表示されるようになり、メールができるようになり、写真が撮れるようになり、画像添付でメールができ…

  iモードが採用され、ネットにつながるようになり、いまやスマホは超小型PC並みの機能。

 ケータイ端末の進化とサービスの発展が、日常生活を一変させた。

 

 ケータイがなかった頃、どうやって待ち合わせをしていたのか?

 ディズニーランドに行くときは、カメラ持参だったし、パーク内でフィルムを売っていた。現像サービスもしていたんだよなぁ。

 メールはPCを立ち上げなければ読めないものだったし、mixiだって外からアクセスできな時期があったんだ。というmixiですらオワコン状態だし。

 

 おもいでのケータイというお題に、じつはひとつの機種について書こうと思ってエントリーしたのだけれど、おもいでのケータイライフ的なネタになってしまった。

 

  しかも、40歳未満には謎のワードが満載(^^;

 

 お題に応えてないので、ちゃんとやろう。

 写真下、右から2つめ赤い奴。

 N902iX HIGH-SPEED

 ガンダム携帯のシャア専用バージョンとか言われていたが、のちにほんとにシャア専用携帯が発売されちゃったので、オフィシャルにはただのかっこいいデザインな赤いケータイ。

 個人的にはラストFOMA、というか最期のケータイ。

 この後スマホに移ったので。

 まだ電話がメインだった時期。

 ほんとにスマホになってからSNSやメールでの連絡が増えて、どんどん通話する機会が減った。

 若いころは電話魔で、仕事でもプライベートでも長電話しまくりだった。

 ケータイが過熱して話していられなくなることもたびたび。

 いまや、電話をかけるのが苦手な人になっていて、キャラクターまで変わってしまった。

 たぶん、このケータイを使っていたときの自分は、別の人だったんじゃないかなぁ(^^;

  

 

 

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就職したらとりあえず三年は我慢しろとよく言うけれど、どう考えても元ネタは「石の上にも三年」だろ? 

 高度成長期の終身雇用は正義!みたいなわけのわからない価値観を押し付けられた団塊の世代とその子供くらいまでの人は、よく言う「とりあえず三年」と言う。

 

 それに関してはもう個人個人の問題で、おまえらに言われたかぁないよな派でもあるが、でもこれ以上大きな声でなにか主張する気はない。

 

 転職、わりとしてます。

 最初の就職は陸上自衛隊だった。

 これは任期制隊員で、陸上は基本2年一任期。試験を受けてちゃんと自衛官にならなければ、どんなにがんばっても三任期が限界なんじゃないかな。

 そんなところで4年二任期。

 100万円足らずの退職金をもって辞めた。

 

 次は今でいうところのIT系企業で、その当時東証一部に上場してた。

 ここに3年4か月…くらいだったかな。

 

 それから10か月くらいの間、バイト暮らし。

 TDLでカヌーを漕いだり、ジャングルクルーズの船長さんをやったかと思えば、JR系の運送会社で宅配ドライバー、道路工事の警備員をやってたら、自衛隊出のプロフィールを買われ、施設警備に回されたり、ほとんどバイト経験がなかったので、意識的に変なのを選んだ。

 

 そうこうしているうちに、ゼネラルプロダクツに誘われ入社。社員をしてる間にゼネプロが解散になってそのままガイナックスに転籍。

 ここがざっくり4年。

 この時期、同時にライター仕事にも手を染めていて、内職してた。

 確定申告ってものを覚えたのもこの頃。

 

 ガイナックスを辞めた話は、けっこうなボリュームで書くことがあるんだけど、それはいつかまた別なところで。

 退職時期は、エヴァンゲリオンの企画まっさかり。

 もう少し会社に残っていれば、マルサがやってくる現場に立ち会えたのにと、それだけが残念。

 

 退職と同時に、別会社を立ち上げ…るつもりが登記前に物別れっていうか、わしだけおん出て、いろいろあって、今の会社を立ち上げた。

 今年は創業20年。この決算が終わったら22期目に突入。

 ま、その間に資本関係のない会社の役員をやったり雇われ社長を兼務したり、古巣のガイナックスに10か月くらいプロデューサーやりにいったりもしたけれど、わたしは元気です。